開業に際して

Passion

  

戸出町観光案内所(戸出ジェラート)
開業に際して(2012/04/05)



砺波の都

"戸出よいとこ砺波の都(みやこ)~、ヨイヨイ~♪"

戸出音頭のこの歌詞を聞いてきっと若い方々は、
「はぁ?戸出が都?」
「戸出は砺波市や福野町、福岡町よりも小さな町ではないか。」
「負け惜しみにも程がある!!」

と、きっと怒り出すのではないでしょうか。


下の図は明治5年の「砺波十町」の戸数の比較です。これを見ていただけるとわかるように明治時代までは、戸出町は現在の砺波市市街(杉木新町)、福野町、福岡町らよりも大きな町だったのです。山ぎわに発展した町々を除けば 戸出は砺波平野の中心で一番の繁栄を誇っていた町なのです。戸出町はどうして近隣の町々の逆転を許してしまったのでしょう。


砺波平野の各町の戸数 明治5年現在

  • 砺波平野の各町の戸数 明治5年現在
  • 出典:「明治初年の砺波」より
 

戸出人の気質


そもそも何故戸出町は、砺波平野で一番の繁栄を誇っていたのでしょうか。第1の理由は地理的要因にあります。戸出あたりを東西に横断するルートは古代より越中国の主要ルートとして利用されていましたが、江戸時代の初めまでは「北陸道」として最も利用されていました。そして当地方の物流の大動脈としての千保川がありました。水上運送が主な輸送手段だった時代、大きな川は大変重要でした。戸出は、北陸道と千保川の交わる地点に発展の可能性を見出した大庄屋(十村[トムラ]という)の川合又右衛門によって開かれました。戸出町には、加賀藩の米を貯蔵する御蔵が置かれ近郊の村々で収穫された米が保管されました。戸出の御蔵は、周辺の村々の集める米蔵としては加賀藩最大のものであり戸出町は加賀百万石の財政を支える上で最も重要な町でした。戸出町は「加賀藩最大の米どころ」として発展してきたのです。

第2の理由は歴史的なアドバンテージです。江戸時代に砺波平野は広く開拓されていきます。戸出町のあと、杉木新町や福野町などがつくられていきます。当初、杉木新町(現在の砺波市中心部)近郊の村々の米も戸出御蔵に運ぶことになっていました。杉木新町近郊の人々は、
「戸出御蔵へまで米を運ぶのは大変だ。」
「杉木新町の御蔵に運び込ませてほしい。」
と何度も加賀藩へ願い出ますがなかなか聞き入れられません。これは、杉木新町よりも戸出町のほうが歴史も古く、戸出の十村(大庄屋)の川合家が長く加賀藩に貢献してきたことが評価されていたからです。川合家は戦国時代より前田家に貢献してきたと伝えられています。戸出町は杉木新町らよりも格上の町であり、明治時代に入るまで戸出町には御蔵の権益がありました。

「既にあるモノを活用していこう。でも、それらが無くなったらもう終わりだ。」

これが戸出人の気質です。

出町人の気質


まず、固有名詞の説明をさせていただくと
「杉木新町=出町=砺波町=現在の砺波市中心市街地」
を指します。

杉木新町の歴史は、戸出町とは全く異なります。戸出町はひとりの大庄屋が加賀藩に願い出て町が成立しました。それに対して、杉木新町は周辺の村々の16名が連名で「この場所に町を作らせてほしい。」と加賀藩に願い出たところから始まります。(戸出町開町32年後の慶安2年(1649)のことです。)

戸出町には、水運として利用できる大きな川、幅広く整備された道、広い範囲から米を集めることができる御蔵の権益がありました。杉木新町周辺には大きな川もない、道もない、既得権益もないところから皆で力を合わせて町を発展させていきます。そんな歴史的な経緯もあって、出町人は

「皆で力を合わせていこう。」
「社会の動静を注視し、新しいものをどんどん取り入れよう。」
「何もないところから未来をつくっていこう。」

という気質があります。先見性があり、よく根回しを行い、団結力があります。

出町の逆転を許す


明治時代以降、住民気質の違いや様々な社会情勢の変化に乗った出町は、戸出町を追い抜いていきます。まず、出町は砺波郡の中心に近いということで、東砺波郡の郡役所を手に入れます。郡役所は福野町と取り合いになりますが、やはり住民気質の違いで出町が勝ちます。

そして昭和27年(1952年)、出町は町の名前をいかにも「うちらが砺波郡の中心でっせ」という名前(砺波町)に改名します。いわれある名前を持った戸出や福野は「町の発展のため、町名を変えよう!」なんてことは夢にも思い付く筈がありません。

「出町」や「杉木新町」という町の名は「杉木(集落名)出身の百姓らがつくった町」 というお気楽なネーミングだったので改名できたのです。そして、砺波町は次々と近郊の村々を編入合併し大きくなっていきます。砺波町よりも戸出町に近く、歴史的繋がりも深かったった高波村も砺波町へ編入合併していきます。また、庄川に橋が掛けられていなかった時代には、中田町と繋がりが深かった庄東地域の4村(東般若、般若、栴檀野、栴檀山)も、砺波町からの説得を受け編入合併していきます。もしも、中田町の人々にも出町人のような気質があれば、きっと庄東4村は中田町と合併していた筈です。

北陸自動車道についても、砺波市は近隣市町に先駆けて行動を起こし、砺波市に都合の良いルートとインターチェンジを手に入れ、大企業の誘致などにも成功しました。(高速道路を砺波市市街地の南側のルートに誘致したことには「工場誘致で高岡市に負けないぞ」という強い意気込みが感じられます。

「砺波十町」と呼ばれた旧砺波郡の10の町のうち、下から3番目と小規模だった出町(杉木新町)は、このようにして首位の座を手にしました。

福岡町にも突き放される


財政の逼迫に喘いだ戸出町は、昭和41年(1966年)に高岡市からの合併の誘いに乗り、高岡市へ編入合併します。これによって、町域の大部分が市街化調整区域に指定され、郊外には家も工場も建てられなくなりました。あと数年編入合併を耐えることができていれば、モータリゼーションの進行に伴って大型小売店や企業誘致も進み、地域郊外の人口が増え、事業税、固定資産税の増加によって財政状況は改善できた筈です。

高岡市と合併しなかった福岡町は、高岡市のベッドタウンとして人口が増え、郊外での工場も増えて発展していきました。高岡市との合併した頃の戸出町と福岡町の活気は同程度であり、互いに競い合っていたそうですが、今や完全に突き放されてしまった感があります。(人口数では今でも戸出地区が福岡地区よりも少し多いのですが、地域活力の面では断然福岡地区のほうが優勢です。

高岡市について


高岡人の気質も戸出人に似ています。高岡の町も明治の初めまでは人口規模で全国20位内を誇る大都市でした。以降、富山県内においてもその地位を低下させ続けています。北陸自動車道も砺波市より積極的に動いていれば、ルートはもっと北より(高岡市南部)にできたハズです。(当初、高岡市は高岡駅南あたりに高速道路を誘致する計画を持っていたそうですが、少数の方々の「高速道路や新幹線などは市街地から離したほうがよい」という意見が採用され、計画は放棄されたとのことです。その結果、「佐野か戸出のあたりを通るようになるかなぁ・・・」と思われていたルートは、砺波市の思惑通りのルートが採用され、「まさか砺波市の南側になるとは思わなかったわ~」と高岡市役所の方々も嘆く結果となりました。高速道路と同じ理由で、2015年4月開業する北陸新幹線の新高岡駅も在来線駅から1.5km離されました。新幹線のほうは、当時の高岡市の思惑通り、新幹線駅周辺がバランス良く開発される結果となりました。

全国で最も公務員の割合が多く、日本一効率が悪い自治体であるといわれた時代もありました。過去からの資産に頼り、要領が悪いところは戸出と似ていて憎めません。

高岡市のなかには、自主的なまちづくりボランティアが中心市街地以外でも伏木、福岡、吉久、雨晴地域などで活躍されていらっしゃいます。そんな高岡市のなかで、南部の戸出、中田地域だけが遅れをとっています。高岡市の観光マップなどでも、戸出、中田地域だけがぽっかり空白地帯となっていたりします。もちろん戸出、中田地域が観光的魅力で、伏木、福岡、吉久、雨晴に劣ってはいる訳では決してありません。中田地域の山々には縄文時代から人々が住み、北陸道の宿場町として栄えた中田町は、高岡市でもっとも歴史ある地域のひとつです。

(以下は私のイメージです。)
伏木、福岡、吉久、雨晴人:
 「私たちの地域にはこんな魅力もある。」
 「もっと市に働きかけなくちゃ。」

戸出、中田人:
 「戸出、中田には魅力ある旧跡なんて少ないよ。」
 「もし他にあるなら市のほうで悉皆調査してよ。」

高岡市:
 「悉皆調査はするけど人も予算も限られていますからね。」
 (他の地域の人たちは自分たちで魅力を探してますよ。)

とこんなイメージがあります。

財政逼迫を理由に昭和41年に高岡市に編入合併した戸出町(中田町も)には、今でもどこかに「負け組意識」があるのかもしれません。戸出町には既に生涯学習を兼ねたまちづくりボランティア団体もあります。今後お知恵お力も借りながら、さらに地域の魅力を掘り起こしていきたいと考えています。

中田町の歴史にも光を


戸出と同じく旧北陸道沿いに発展してきた中田町は、戸出町とは兄弟町のように発展してきました。親近感ある中田町についてももっと名所旧蹟をPRしていきたい、と考えています。戸出駅から弓の清水まで歩いてもわずか1時間程度で、ハイキングコースとしてもぴったりです。北陸新幹線に乗ってやってきた観光客を中田地域に呼び込めれば面白いと思います。先の節でも書きましたが中田地域の歴史は戸出よりも古く、町の歴史も戸出より早く始まります。

弓の清水観音、常国一里塚なども面白いですし、中田町の街並みにも趣があります。戦国時代、中田には城もあったようですし、掘り下げればまだまだ魅力が出てきそうです。

高岡市、飛翔の予感


都市計画の不備により高岡市に住み続けたい人も周辺の自治体(射水市、砺波市など)に移って行きやすい仕組みが確立されてしまっているため高岡市は富山県内トップの人口減少数を誇っています。

「自己中心的」「先見性がなく近視眼的」「他人の足を引っ張りたがる」「市の人口も減っていて将来が暗そう」などといったネガティブイメージで語られることが多かった高岡ですが、最近は変化の兆しがあるように個人的には感じています。「高岡市を何とかしたい」という方々が増えてきている気がするからです。

近いうちに高岡市はこれまでのイメージを一新し、地方都市のお手本のように光輝く、そんな都市に変貌していきそうな気がしています。高岡市全体が発展していこうというときに戸出だけが市の足を引っ張るようなことがあってはなりません。市の発展に合わせ、地域の魅力の光が放たれるよう戸出に住む私達も情報を発信していかなくなくてはなりません。

戸出町に再び賑わいを


以上のようなの戸出町及び近隣の町々の歴史について良い、悪い、とは思っていません。「町の興り、そしてその町が発展するか否かは、全て町の人に拠っている」

このことを証明してくれている町々の繁栄衰微の歴史は地理好きの私にとってたまらなく興味深いものです。ただ私は先人らが少しずつ400年かけて築き上げてきた町を私たちの代で無くして良いとは思えません。そんなことでは先達らに顔向けできませんし、戸出鎮守の神様もガッカリなされるでしょう。

「まちに賑わいがなくなっても地域の歴史は残る」という考え方もありますが、市街地で営業しているお店がなくなるということは町が死んだのと同じだと思います。幸いなことに戸出町にはお金がなかったために残った風景があります。近隣市町には道路拡張によって殺風景な街並みとなってしまったところもありますが、戸出町メインストリートには江戸時代の面影が残っています。

戸出駅駅舎には建て替えの話もありましたが、現在も日本海側で最も古い鉄道駅舎として明治時代の姿のまま残されています。これらの観光資源を有効に活用しながら、再びまちに賑わいを取り戻すことはできないものでしょうか。

きっかけはRACDA高岡


ここからは私が戸出町のまちづくりに興味をもったきっかけについてお話させていただきます。

5年ほどの東京暮らしの後、戸出町に戻ってきた私は「戸出はこんなに寂しい町だったかなぁ。」という思いを持ちました。私の小学生だった頃によくおつかいに行っていた八百屋さん、魚屋さん、お肉屋さんらが全て閉店していることに気づきました。モータリゼーションによる小売店舗の郊外化・大規模化が原因です。

その数年後、私は結婚することになりました。普通の富山県民は、結婚した後数年間はアパートに住み、その後親と同居するか、または一戸建て住宅へ引っ越します。私もそのように考えていたのですが、父からの「ちょうど戸出駅前に建売住宅が売られている。そこを買って住めばどうか。戸建住宅は引っ越したくなったらまた売れば良いだろう。そのほうが賃貸アパートに長く住むよりも経済的だろう。」というアドバイスに従って、たまたま戸出駅の真ん前で売りに出ていた戸建住宅に住むことになりました。

またちょうどその頃、戸出で開催されたRACDA高岡という公共交通とまちづくりを考える団体の出前講座に参加してみました。

「戸出町の顔とは何か。」
「国道に沿って建っているロードサイド店舗が戸出の顔なのか。」
「戸出の市街地はこのままで良いのか。」
といった問題提起があり、色々と考えさせられました。もっと勉強してみたいという思いに駆られ、私もRACDA高岡に入会しました。

以降、戸出駅前に暮らす私は、
「400年の歴史ある町の玄関口(=駅前)に住んでいるんだ。」
「何とかしなければ。」
と考えるようになりました。

小さな頃から地理や地誌に興味があった私が戸出駅の真ん前に住むことになり、そんなことを考えるようになったことは今でも単なる偶然だとは思えません。

城端線LRT化


RACDA高岡では、ヨーロッパなどのまちづくりを参考に「LRTは市街地活性化に最も有効な道具だ。」ということを学びました。ある日、万葉線のLRV車両を城端線へ乗り入れ新幹線の新駅まで走らせようという計画案があることを知りました。欧州で実用化されている技術を使えばとても簡単なことです。

「どうせ乗り入れるなら新高岡駅で止めずに砺波駅くらいまで走らせては?」
「いやいやせめて福野駅まで走らせたい。」
「加越線の線路跡はいつでも線路を引き直せる状態にある。
 井波町、庄川町までLRV車両を走らせることも面白い。」
・・・といった話もありました。

さらに2010年にはJR西日本から「城端線は近い将来廃止し、代替バスも検討したい。」という廃止予告がなされました。

それを受け、沿線の南砺市や砺波市の企業経営者の方々を中心に
「城端線は廃止にするべきではない。」
「むしろ利便性を高めてまちづくりに活かすべきである。」
「北陸新幹線の開業もある今が城端線について考えるべき時期である。」
という活動を行われるようになり、富山県への提言も行われています。近年は道路特定財源が公共交通にも使われるようになり国土交通省の鉄軌道に対する支援も年々拡充が図られていることは、さらに城端線LRT化への追い風となっています。(富山市のレンタルサイクル事業など、環境を考慮した新しい事業には地元負担が少ない形で国からの予算が得られるようです。城端線のLRT化についても「環境にやさしい今後の日本の豊かな生活」 のモデルになるような事業にできれば地元負担はさらに少なくて済むのではないでしょうか。

城端線のおかれた現在の状況、沿線での議論の高まり、富山県内各地で起きている公共交通再生の先行例、国が示している方向性、それらを総合的に考えてみると近い将来城端線がLRT化されることは必至の状況です。

(1) 名所旧蹟をPR


ということで、そう遠くない将来、戸出駅でもカッコイイLRV車両が見られることになりそうです。城端線も15分間隔くらいで走るようになったときに戸出のまちの魅力を高めておけば、富山ライトレール開業時に賑わいを取り戻した岩瀬(富山市)のような観光によるまちづくりも可能となる訳です。

まずは、北陸道一里塚(中之宮、常国)、戸出駅駅舎、富山県鉄道発祥の地、戸出御蔵跡、戸出御旅屋門、戸出御旅屋、弓の清水など戸出駅周辺の名所旧蹟の魅力を掘り下げてPRしていきます。

(2) チューリップ


富山県といえばチューリップ。チューリップといえば幸せの象徴。戸出は(幸せの象徴)チューリップの一大生産地帯です。そして、日本一の生産農家さんがいらっしゃるのも戸出です。

「戸出町=チューリップの町」
として売り出していくのはどうでしょう。

「21世紀は心の時代」ともいわれ、「幸福度」という尺度で考える事が重要となってきます。「日本一の幸せな雰囲気漂うチューリップの町で、都会の喧騒に疲れた観光客の方々を癒すまち」

そんなことを戸出のまちつくりのテーマにできれば、日本中からのお客様を呼ぶこともそう難しいことではないのではないでしょうか。

(3) 買い物客だって本当は歩きたい


東京に暮らしていた頃はよくまちを歩きました。アキバの中央通り、池袋サンシャイン通り、砂町銀座・・・。買い物しなくても歩くだけで何だか楽しい気持ちにさせられました。

高岡市にある郊外型ショッピングモール(イオンモール高岡)も同じです。専門店街のお店を両側に見ながら歩くだけで楽しくなってくるのは私だけではないハズです。駐車場にクルマを止めた後、数百mを歩きます。ときには端から端までを専門店街を何往復もしたりして結果1km以上歩いたりします。埼玉県にあるイオンレイクタウンなんて端から端までを歩くと30分以上かかります。休日になるとイオンレイクタウンは大勢の人で賑わっていますがみんな歩きたいがためにはるばる遠方からやってくるのです。

「お店と駐車場とは近接していなければダメだ。」
などといわれた時代もありましたが、結局また
「たまの買い物するときくらいは歩くのも良い。」
という風潮に回帰しつつあります。

戸出町中心市街地だって今後魅力的なお店を増やすことさえできれば歩きたくなる人も増えてくるでしょう。しかも、その商店街には400年の歴史があり、メインストリートはかつての北陸道で、豊臣秀吉や前田利家らも通っていたんですよ!イオンモールの専門店街を歩くより楽しいとは思いませんか。

(4) コミュニティバス


市街地に賑わいを取り戻すには観光客だけではなく、地域の郊外に住む方々にも市街地に集っていただく必要があります。戸出市街近郊の農村地帯には「買い物や人の集まる場所に行きたいけれど移動手段がない。」というご年配の方々の潜在的需要があります。

市街地にご年配の方々も気楽に集える小さな施設(喫茶スペースなど等)や魅力的な店舗を複数つくりながらコミュニティバスやデマンドバスを走らせることができれば、まちの賑わいづくりを大きく前進させられるのではないでしょうか。と同時にご年配の方々の健康的生活にも役立ちます。福祉にも役立って一石二鳥です。

戸出駅・近代歴史遺産漏れ未遂事件


ある日、知り合いから「今度、『とやまの近代歴史遺産』として富山県内の建物・構造物が100点選定される。戸出駅舎よりも歴史の浅い駅舎がたくさん候補に上がっているけど、戸出駅舎はその候補から抜け落ちているよ。」ということを聞かされました。

「そんなバカなことがあるのか!?」と私は本当に驚きました。

富山県の鉄道発祥の地でもあり、日本海側で最も古い鉄道駅舎である戸出駅が選定から漏れそうになっていたのです。

とやまの近代歴史遺産(富山県映像センター)

結局、戸出駅舎も無事に選定されましたが、「貴重な建物があっても地元が関心を持っていなければ見向きもされない。」「名所旧蹟、民俗行事についても同じ。地元住民が情報発信していかなければ魅力は外にも内にも伝わらない。」「行政側に任せていても調査すらしてもらえない。」ということを学びました。(戸出駅舎と同じ年に建てられ、同じく日本海側で最も古い福野駅舎は選考から漏れました。頑張れ、福野の人!)

戸出町に限らず、地域に誇りを持っていない人の暮らす地域には興味深い歴史、貴重な建物、面白い民俗などがたくさん眠っているハズです。皆さんのお住まいの地域はどうでしょう。もう一度魅力を掘り起こしてみてはいかがでしょうか。

不動産仲介


まちづくりに興味を持ち始めて以降、「まちづくりには不動産の知識を持っている人材が必要だ」と思うようになり不動産の勉強を始めました。そして宅建の資格を取得しました。

戸出町の市街地に賑わいを取り戻すとともに、郊外にも若者向けの住宅地を提供し、子育てNPOの方々などとも連携して、日本一子育て環境の優れたまちを作っていきたいと考えています。また、都会からの田舎暮らしの方々も受け入れられれば、とも考えています。

富山県は「暮らしやすさ日本一」「幸福度全国2位」などと評価されていますが、県内でも特に戸出・中田、それ以南の砺波市、南砺市には「日本のブータン」ともいわれるほど幸せな人々が暮らしています。そんな誇れる幸せな地域に都会からの移住者を受け入れられたらいいな、といったことも考えています。

サラリーマンを辞める


「まちづくりなんて私なんかよりもっと頭の良い人、立派な人、お金を持っている人が 考えるものだ」と私はずっと思っていました。

ですが、私の考えを戸出の立派な方々に話すと、

「戸出には人を呼べるものなんてないよ。どうして人が来るものか。」
「商圏が小さいから、戸出では何の商売始めてもうまくいかないよ。」
「そんなうまくいくわけがないよ。うまくいくなら誰かがとっくにやってるよ。」
「町に賑わいは戻るハズがない。商店街は今後無くなっていくしかないよ。」

と、とても戸出人らしい反応が返ってきました。町の色々な方と話をする度に、

「あれ?あれ?戸出町に賑わいを取り戻す具体的な方法を知っていて、実現させたいと思っているのは私だけなのかもしれない。」

という思うようになってきました。しかしサラリーマン家庭に生まれ、「サラリーマンが良い。自営業なんてダメだ。」と教わってきた私はなかなか最初の一歩を踏み出すことができませんした。

「北陸新幹線開業、城端線LRT化のタイミングは戸出町に賑わいを取り戻す絶好のチャンスだよなぁ。」「でも自分には何もできない。サラリーマンとして平日夜間と休日に自分のできる範囲でまちづくりに貢献していこう。」

などとぼんやり考えていました。しかし神様は私にチャンスを下さいます。ちょうど私が勤めていた会社の経営陣が変わり、経営方針が変わったのです。

「良い製品を作って日本一の会社を目指そう!」という方針が変わり、私は一度きりの自分の人生について「このままで良いのか」と真剣に向き合うようになりました。深く悩みましたが、「今、やるしかないであろう。」という天の配剤を感じ、ついにサラリーマン→自営業へ転身する決意ができました。

誤解のないよう書いておきますが、多くの社会経験を積ませていただき人生を飛躍させるきっかけを下さった会社には本当に感謝しています。

絶好のタイミング


私が戸出町観光案内所を開く今年(2012年)は、

・北陸新幹線新高岡駅(仮称)開業の約3年前
・戸出町開町400年(2017年)の5年前
・第50回戸出七夕まつりの1年前

という、町の賑わいを取り戻す機運を高めるにはこれ以上ないのグッドタイミングな年です。必ずうまくいきます。何故かといえば、戸出町が賑わいを取り戻す様子がはっきりと私の脳裏に浮かんでいるからです。

観光案内所なんてものは本来行政や地元有力者が主導して設置されるべきものだとは私もわかっています。ですが、今の「絶好のタイミング」の時点で「戸出町は大変魅力のある町だ。」と本気で信じているのはどうやら私一人しかいないようです。恥をかいても、反感を買っても、まずは「今」、「私が」行動を始めるしかありません。

お店を増やす


2011年に会社を辞めたあとは本当に自由な気持ちで、いくらでも新しい発想が得られる、無限の力に満ちているような感覚で毎日を過ごしています。これまではどうして「自分には何もできない」と考えていたのか、今では不思議でなりません。

そして今私は、「いくら頑張って収入を増やしても満足感が得られない」というマネーゲームの世界からひとりでも多くの方に脱出してもらいたい、その手助けをしたい、といったことも考えています。

あなたの人生の価値は10億円くらいでしょうか、それとも100億円くらいでしょうか。とにかく、「月給が1万円上がった」とか「年収が100万円増えた」といったレベルの話は、人生の値段と比べればほとんど意味がありません。自分の好きなことをやって生きていなければ、100億円をエンゾロに捨てているのと同じだからです。自分の好きなことをやる、という生き方が一番"お得"なのです。

「私の人生、本当に今のままでいいのかしらん」とお思いの方がいらっしゃいましたら、是非、戸出駅前にいる私を訪ねてきていただければと存じます。私が自ら経験した「サラリーマン→自営業」への体験を交え、アドバイスできたらと思います。起業相談は無料です。(ただし行政書士事務所さんのような専門的相談には乗れません。)そして、そんな方の中から、「戸出で商売を始めてみるのも良いかな」という人が一人でも出てくることを期待しています。

空き店舗がたくさんある戸出市街地は、私一人では賑わいは取り戻せません。新たに開業しようという人が一人でも見つかることを期待しています。もちろん戸出以外で開業を予定されるかたも大歓迎ですので、お気軽にお立ち寄りください。

モデルはフライブルク


私一人が勝手に今考えているまちづくりのお手本はドイツで環境首都とも呼ばれているフライブルクです。フライブルク郊外にある小さな町には、スパゲティ形のアイスクリームを提供するお店(アイスカフェ)があり休日になると家族連れが電車を乗り継いでやってくるそうです。フライブルクとその近郊には「環境定期券」というものがあり、日曜日には定期券1枚で家族全員が利用できます。そんな定期券が北陸に導入されれば、富山市や金沢市などからも

「たまには公共交通を乗り継いで、戸出を散策して、アイスでも食べてこようか。」

という行動をとる家族も少なくないでしょう。(今、大人2人+子供2人の家族が、戸出<->富山を往復しようとすると2,880円かかります。乗り継ぎの便が悪いために往復の移動に2~4時間を要します。今の日本の田舎では普通の家族は列車で移動しようとは考えません。)

いつか、フライブルクでアイスカフェを体験してきたいと思っています。富山県の夏はフェーン現象の影響で暑くアイスはぴったりです。戸出でアイスカフェというのも面白いのかなと思っています。私がアイスを食べにドイツへ行きたくなるくらいですから、魅力的なお店、魅力的なまちの雰囲気さえ創り出せれば世界中から戸出にお客様を迎え入れることも可能なハズです。

そんな夢のようなことが実現するのか


前の項の内容とも一部重なりますが・・・、万葉線(高岡市・射水市)は赤字が原因で廃止寸前でしたが日本初の第三セクターによる路面電車として再出発しました。富山港線も赤字が原因で廃止という話がありましたが、富山ライトレールとして日本で初めての本格LRT開業しました。もし、公共交通に関することで「日本初」のことが起きるとすれば、それは富山県で起きる可能性が高いのです。

また、日本は明治維新以降一貫して欧米の後を追いかけてきました。欧米で流行している「公共交通回帰」「既存市街地回帰」の流れは、遅かれ早かれ必ず日本でも流行します。

残るは「魅力的な戸出市街」の創造だけです。これは私が人生を賭けて全力で取り組んでいきます。私は出来が良い人間ではないですし、資産家に生まれたワケでもありませんが、良いことが重なって起きてくるような気がしてなりません。根拠はありませんが確信があるのです。

私の役割は、明治維新以来戸出町に漂っている「何をやってもダメなんだ」という雰囲気をほんの少し変えてやることだけです。そして地域の方々に、戸出町が持つ魅力と可能性に気づいてもらいます。

あとは優秀な方々にバトンタッチです。全てがうまく回り出します。

日本の環境首都、富山県


日本一暮らしやすい富山県は、公共交通の整備状況も日本有数のものとなっています。環境への負担を低く抑え、自分たちの郷土に誇りを持ち、便利で豊かな暮らしを送ることができ、住民は皆幸せな生活を送る・・・・そんな富山県になってほしいと思っていますし、既に実現しつつもあります。

神様の加護もある


私は子供の頃から人前で話すことが苦手で運動オンチでした。体育の成績はずっと学年最低で体も弱かったのです。もちろんモテません。頭の回転も遅いのです。私は学力にも体力にも容姿にもコンプレックスを持っていました。

それがいつの頃からか幸せになってしまっていました。

若い頃には今のような幸せな時がくるとは信じられませんでした。(だから、若いかたは自分の未来に希望を持ってください。根拠は不要です。)

幸せになる唯一の方法は「足りるを知る」ということです。お金と幸せとはほとんど関係がありません。年収200万でも幸せな人がいます。年収1000万円でも不平不満に満ちている人もいます。パナソニック創業者の松下幸之助氏は、「貧乏で良かった、学歴がなくて良かった、体が弱くて良かった」と仰ったそうですが、今の私も全く同じ思いです。これからも私のまわりでは信じられないような面白い出来事が次々と起きてくるハズです。

「戸出に賑わいを取り戻したい」という私に神様もきっと力を貸して下さいます。そんな戸出町にはきっと奇跡が起きます。

応援してください


もし戸出町に賑わいが戻れば、それは高岡市や富山県の魅力が高まるということだけでなく、きっと全国の田舎の町に住む人たちに
「おらが町でもできるべ。やってみるべさ!」
という気持ちを起こさせるでしょう。

今までは「何もない」と思われてきた全国の田舎の町々が次々と輝き出す様子をイメージしてみてください。何だか楽しくなってきませんか。奇跡は神様の力だけで起きるものではありません。是非とも皆様のお力をお貸しいただきたいと思います。何卒よろしくお願い申し上げます。

ここまで私の拙い文章を読んで頂きありがとうございました。

あなたにも良いことが雪崩のように押し寄せるよう祈っております。

2012年春のついとる日